変わる「産地とデザイン」会議 2017

産地とデザイン会議2017


日本の産地のものづくりと、そこにおけるデザインのありかたを探る「産地とデザイン会議」も5年目になりました。2017年は昨年に引き続き、3つの素材をテーマにそれぞれ2つの産地から講師の方をお迎えしてお話をうかがい、その後参加者同士の意見交換をします。
参加ご希望の方は、各回ごとにお申し込みください。申し込み順に受け付け、20名になりましたら締切らせていただきます。下記応募フォームまたはメールでのお申し込みをお待ちしています。

応募フォーム

申し込み・お問い合わせ
産地とデザイン会議実行委員会事務局
アトリエ苫人 中野照子
電話 03-3469-0845
FAX 03-34690853
tomato@mercury.plala.or.jp

 
 

※終了しました

金属 Metalworks 


富山県高岡市と新潟県燕三条。日本全体から言えば近くにある金属の産地ですが、その成り立ちと内容は大きく違います。この回は、長く富山県のデザイン振興にたずさわり、海外も見据えた広い視野で、高岡という産地と多くのデザイナーをつないできたデザインディレクターの桐山登士樹さん。そして新潟県燕市の実家・武田金型製作所で新たなブランドを立ち上げ、さらに金属産地である地域全体を多くの人に知らせる試み「燕三条 工場の祭典」の実行委員長として活躍する武田修美さんのおふたりから、それそれの産地の特徴や現在の動き、デザインとの関わりについてお話を伺います。

《日時》

2017年10月14日(土)
17:00~21:00頃 (受付16:30~)
産地からの報告~意見交換・懇親

《場所》

モノ・モノ monomono.jp
東京都中野区中野2-12-5
メゾンリラ104

《会費》

3,500円(懇親会費含む)当日支払い
※運営の都合上、前日、当日のキャンセルは、会費をお支払いいただきます。ご了承ください。

応募フォームはこちら
申込締切:10月11日(水)

 
   

桐山 登士樹 Toshiki Kiriyama

富山 デザインディレクター

1988年デザインを核としてビジネススキームを打ち立てたデザインドゥタンク、株式会社TRUNKを設立。以後、デザイン展、ミラサロでの大手企業のブランディングをプロデュース、ミラノ万博日本館プロデューサー、地域リソースの再構築、ミラノ、パリ、フランクフルト、台北等で海外販路開拓等を担っている。現在、同社デザインディレクター、富山県総合デザインセンター所長、富山県美術館副館長を兼任。
www.trunk-design.jp

武田 修美 Takeda Osami

新潟・燕三条
「燕三条 工場の祭典」実行委員長 (株)MGNET代表取締役

1980年、新潟県燕市生まれ。2005年、家業の武田金型製作所に入社。製品ブランド「mgn」を設立。2011年、子会社として(株)MGNET設立し、代表取締役に就任。翌年、東京などにも拠点を置き、地域資源活用事業を推進。2015年には経済産業省主催「The Wonder 500TM」に選定される。発足から関わる「燕三条 工場の祭典」(kouba-fes.jp)では、17年から5代目実行委員長に就任。
mgnet-office.com


●10月14日、産地とデザイン会議「金属」が終了しました。

 新潟県燕市の金型製造業の家に生まれた武田さんは、「金型の魅力を多くの人に知ってもらうには、ものをつくるだけでは完結しない」と考え、MGNETという会社を立ち上げた。ものに価値を与え、多くの人に興味を持ってもらうため、「ことづくり」「まちづくり」まで広げていこうと決意したのだ。

 燕市と三条市は隣同士で、もともと伝統的な鍛冶屋のまちであり、今では各種の金属加工を行う産地である。そこで、「燕三条は、工場で、人をつなげる」をコンセプトに掲げる『工場の祭典』に関わり、2017年で5年目を迎えた。
 このイベントの基本はオープンファクトリーで、これまで工場など見たことがない人たちに、ものづくりの現場や職人たちの仕事を見てもらい、体験してもらう。食のものづくりや行政とも一緒になってつくり上げてきたおかげで、現在は工場数は約2倍、来訪者数は約5倍、売上げは約10倍に成長している。

 桐山さんは、1980年代からデザインを核としたビジネススキームを押し進めてきたデザインディレクターである。富山には25年にわたって関わり、今は富山県総合デザインセンター所長でもある。高岡は高岡銅器という伝統産業に支えられたものづくりのまちだが、桐山さんが関わり出した頃は、伝統産業が主体でデザインはまだまだだった。そこでデザインウェーブ事業で全国の主要な企業のデザイン部長に出席していただいてデザイン会議を行った。その翌年からデザインコンペティションを開催し、地場とデザイナーとのマッチングを推奨し、世界にも通用するデザインテイストのものづくりに育て上げ、商品化してきた。今では高岡は、積極的に海外にアピールして成果を上げる、デザイナー憧れの産地になっている。

 武田さんは、桐山さん始め先輩たちが当たり前のように海外に出て行くのを見てきた世代だ。高岡や鯖江、北九州の産地が、海外の展示会に積極的に出かけ、そのことで産地同士の一体感が生まれることに注目。地元の燕三条にもデザインセンターのようなものづくりアーカイブ施設をつくりたいと考えている。
 それに対して桐山さんは、「デザイナーという専門家がいるだけではだめで、成果を出さないと事業としては続けられない。それには、ものづくりを横断的に見られる人を育てる必要がある。時間はかかるが、それが重要だ」とつけ加えた。
 また、二人は地域に人を呼ぶことが大切だと考えており、これからは宿泊や観光にも力を入れたいと語った。

 参加者は、デザイナーやメーカー、流通、メディアまで幅広かった。質問も多く、なかには「産地のものづくりは、時として自分たちのなかだけで競合しているようなこともある。ものづくりをプロダクトだけでなくインテリアまで広げるなど、もっと市場を広げていくべきではないか。産地、産地というが、それが遅れの原因になってはいないだろうか。“クラフト”ではなく、“工芸”という言葉を使うなど、日本人の美意識に合わせていくほうがいいのではないか」という意見もあった。




※終了しました

紙 Paper


近代になって「洋紙」が普及していく中で、「和紙」という名で独自の発展を遂げてきた日本の紙。全国に点在していた多くの産地が、生き残りをかけてさまざまな試みを展開しています。この回では、岐阜・美濃和紙をベースにしながら、問屋というスタンスで全国の紙関連企業と連携して事業を進めるシイング代表の鷲見恵史さんと、ユネスコ無形文化遺産である埼玉・細川紙の伝統を踏まえ、遅まきながら紙漉き職人を目指し、修錬を重ね事業化をはかる谷野裕子さんのお二人に、それぞれの産地における「和紙」の可能性などについてお話を伺います。

《日時》

2017年11月4日(土)
17:00~21:00頃 (受付16:30~)
産地からの報告~意見交換・懇親

《場所》

モノ・モノ monomono.jp
東京都中野区中野2-12-5
メゾンリラ104

《会費》

3,500円(懇親会費含む)当日支払い
※運営の都合上、前日、当日のキャンセルは、会費をお支払いいただきます。ご了承ください。

応募フォームはこちら
申込締切:11月1日(水)


  

鷲見 恵史 Shigefumi Sumi

岐阜・美濃和紙 (株)シイング代表

(株)シイング代表。岐阜県美濃市にある和紙の産地問屋及び紙商品企画販売の会社としてもうすぐ創業150周年を迎える株式会社シイングの6代目。名古屋造形芸術大学を卒業後、同大学の助手などを経て、1998年に入社。2008年に美濃和紙加工会社5社協業による紙商品ブランドの「かみみの」の立ち上げをきっかけに、様々なデザイナー、イラストレーターとチームを組んで、紙商品ブランドの制作・運営に力を入れている。
shi-ing.co.jp

谷野 裕子 Hiroko Tanino

埼玉・細川紙 手透き和紙 たにの主宰

「手漉き和紙 たにの」主宰。 30歳を過ぎてから紙漉き職人を目指す。 現在、細川紙(201411月ユネスコ無形文化遺産記載登録)の正会員として工房「手漉き和紙 たにの」を運営するほか、細川紙技術保持者、埼玉伝統工芸士、彩の国優秀技能者として学校・博物館・美術館等での和紙づくりの指導や講演、他産地や海外での技術指導を行う。 書写素材としての和紙はもとより、ホテル、住宅、店舗の内装も手掛けている。
info@monme.net


●11月4日、産地とデザイン会議「紙」が終了しました。

 谷野さんが関わる細川紙と鷲見さんが関わる美濃和紙は、ともに2014年のユネスコ無形文化遺産に「細川紙」、「本美濃紙」として記載登録されている。しかし、それぞれの取り組み方や抱える問題に大きな違いがあった。

 細川紙の産地、埼玉県小川町・東秩父村は、家族経営や小規模経営が多く、従事する人は全盛期の半分になり、紙を漉く簀桁をつくる人もいなくなった。谷野さんは、30歳すぎてから研修生となってのスタート。手漉き和紙の需要が減り仕事が激減、職人も高齢化するなどの厳しい状況を、「紙漉き」だけでなく「紙づくり」を、さらに「ものづくり」から「文化」として知ってもらおうと考えている。細川紙の伝統を継承していくには、材料となる楮の育成や一つ一つ手間のかかる作業を多くの人と一緒に行い、地域の農林業や木工技術などと連携していこうというのである。

 鷲見さんは、岐阜の美濃和紙の産地で創業150年を迎える産地問屋+紙商品企画販売会社の6代目。1980年代、当時の岐阜県知事が産地のものづくりに力を入れたこともあり、美濃和紙ではデザイナーの登用も早く、現在では、伝統的な製法でつくる「本美濃紙」、国内産原料を使って流し漉きでつくる「美濃手すき和紙」、非木材繊維を含む原料を使い抄紙機で製造する「美濃機械すき和紙」という品質認定しブランドマークをつけてアピールしている。現在の美濃和紙の売上げの主体となるのは工業用で使われている機能紙ではあるが、一方で生活のなかで使える商品開発も積極的に行われ、産地の各メーカーが個性を競っている。

 谷野さんは、使われていない給食センターをまちから安く借り、楮を煮る大きな窯や作業場を確保、多くの人に参加してもらいながら、紙づくりに励んでいる。今、取り組んでいるのは、この土地にある植物を使っての紙づくり。手漉き和紙はこうしてつくられるという「文化」を伝えることに力を注いでいる。

 鷲見さんは、美濃はデザイナーが入りやすい産地であったこと、伝統的な技術をブランド化できたことをよかったといい、ゆくゆくは「日本の紙」という視点で考え、産地のものづくりを知ってもらう「紙の学校」もつくりたい、と語った。

 会場からは、産地の現状はあまり知られていなかったことに驚きの声があり、あるデザイナーは「近くにありながら、何も知らなかった。僕らはどういうところから、どうアプローチしたらいいのですか?」という質問があった。谷野さんが「私たちは少ロットしか出せないのですが、それをメリットだと思って相談してください」を答えると、デザイナーは「少ロットなら直接交渉したほうが安くあがる。いろいろ注文できそうだし」と。谷野さんが「私たちは顔が見える人に買ってほしいんです」と返す場面もあり、今後のやりとりが期待される。
 産地が活性化するには、多くの人に知ってもらい継続していく努力が必要。やはり人と人のつながりから生まれるのではないか、という話になった。




※終了しました


漆 Japanese lacquer


日本の伝統的な工芸品として世界にも知られる漆。80年代以降、デザイナーが関与することも増えて、現代の生活と漆の関係が再構築されてきました。この回では、挽きものを得意とする石川県・山中の産地の特徴を活かして、デザイナーとともに新たなブランドを立ち上げ、積極的に展開する我戸幹男商店代表の我戸正幸さん、そして、岩手県工業技術センターで長く地域に関わり、現在では盛岡市で漆芸家として活動している町田俊一さんのおふたりに、漆と産地のこれからの展望についてお話を伺います。

《日時》

2017年12月2日(土)
17:00~21:00頃 (受付16:30~)
産地からの報告~意見交換・懇親

《場所》

モノ・モノ monomono.jp
東京都中野区中野2-12-5
メゾンリラ104

《会費》

3,500円(懇親会費含む)当日支払い
※運営の都合上、前日、当日のキャンセルは、会費をお支払いいただきます。ご了承ください。

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我戸 正幸 Masayuki Gato

石川・山中温泉 (株)我戸幹男商店 代表取締役

1975年、石川県山中温泉生まれ。
20歳で上京、全国の漆器を扱う消費地問屋に就職し学ぶ。2004年、家業の(株)我戸幹男商店に入社。商品企画担当としてさまざまなデザイナーを起用し、500点を超える商品を開発。2010年にグッドデザイン賞中小企業長官賞を始め、海外のデザイン賞も受賞。山中漆器を評価される。
我戸幹男商店は、1908(明治41)年に我戸木工所として創業。木地師の理念を受け継ぎ、近年では高い轆轤技術とデザイナーとのコラボで実用性と芸術性を併せ持つ漆器を多く開発している。
http://www.gatomikio.jp

町田俊一 Toshikazu Machida

岩手・ 盛岡 漆芸家、町田俊一漆芸研究所 lakka Puu代表

1951年東京生まれ。
75年、千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、同大学院在学中に漆芸家・音丸香氏に師事。78年から2012年まで岩手県工業技術センターに勤務。その間、2004年に浄法寺の漆器産業復興に関する研究で博士号取得。
12年に開設した町田俊一漆芸研究所 lakka Puuでは、浄法寺産漆を自家精製して使用、丈夫で使いやすい暮らしの器、人の手肌にやさしい身のまわりの道具をつくり販売している。
http://lakka.craft-jp.com


●12月2日、産地とデザイン会議「漆」が終了しました。

 漆産地の苦境を乗り越えて、これからの時代の漆を模索するお二人に話を聞いた。
 漆芸に興味を持って岩手県工業技術センターに勤務した町田さんは、昭和30年代に産地消滅した浄法寺漆器の復興を支援してきた。当時は漆掻きしか残らなかった浄法寺だが、ついに昭和53年に復興第1号となる工房ができた。現在、町田さんは盛岡に町田俊一漆芸研究所を構え、浄法寺産の漆を自家精製して暮らしの器や道具をつくっている。デザイナーでもある町田さんは、加飾せず無地で漆を多く塗る、昔のデザインを活かした「リ・デザイン」を基本としている。現代の暮らしの中で、どうしたらもっと漆器や漆を使ってもらえるかを考えている。
 我戸さんは、山中漆器の産地問屋の4代目。東京の問屋で修業していた時に感じた、安っぽく見られる山中漆器のイメージを払拭するために決断したのは、デザインを取り入れることだった。山中漆器の強みである挽物の技術、加飾挽きや合口技法など古来から伝わる技法を活かしたデザインを依頼。現在は13人のデザイナーと協働し、500点以上の商品を誕生させている。グッドデザイン賞や海外の賞を受賞し、知名度を上げた。組合に所属する木地屋は30軒、問屋は80軒という産地の特性をバックボーンに、新たな山中漆器に挑戦している。

 とはいえ、漆の産地の状況は苦しい。町田さんによれば、浄法寺近辺で漆器にたずさわる人は40人くらいいるが、生活はギリギリ、大半は独身と言う。他の産地でも「自分の息子には跡を継がせない」と言う人が多い。我戸さんは「これまで産地は問屋に頼っていたけれど、これからは自力で販路を開拓し、産地から飛び出していかないとやっていけない。少しでも利幅が上がれば、生活に余裕ができ、やりたいこともできるようになる」と語った。

 会場から出た「漆器は何がいいのか悪いのか、選ぶ時の判断基準がわからない」という質問には、流通に関わる参加者から「産地の特徴を知ると同時に、使い手がどう使うのか、自分の感覚に合っているのかを自覚しないと選べない。ただ、つくり手が愛着を持ってつくっていれば、その気持ちが憑依しているので、売れるようになる」という意見も。さらに「この店主が奨めるなら買おう」と言ってもらえるような信頼関係をつくらないと、という意見もあった。

「つくり手とデザイナーの間に立つ人がいない。メーカーの知識があって、大局的に判断できる人。我戸さんのようにまとめていく人が必要だが」という参加者の声に我戸さんは「僕なりの理想のイメージがあるので、コンセプトやディレクションは自分でやっている。デザイナーには美しいラインだけお願いする」と答えた。町田さんは「今、よく言われるブランドは、地場の共通言語ではない。産地の側にいて、両方の言語がわかる人でないとダメ」とつけ加えた。

 デザインについて我戸さんは「ものを魅力的にする力。漆器があるべき場所にきちんとおさめる、つくったものに見合う値段がちゃんと取れるようにする力。地場で食べられる商材をデザインの力でつくっていきたい」と語った。続けて町田さんも「産地にデザインは必要。『地域創成』と言うが、産地がなくなれば、地域がなくなる。日本のアイデンティティがなくなってしまう」とその重要性について語った。その他、後継者問題やファッションと伝統工芸の売り方の違いなど、活発な意見交換が行われた。



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