職人を旅する
柴田 昌正 Shibata Yoshimasa
曲げわっぱ職人
秋田県大館市 柴田慶信商店
曲げわっぱ(まげわっぱ)とは、スギやヒノキ などを薄く曲げて作られる円筒の器のこと。通常、曲物と呼ばれ、主に飯のひつ、弁当箱等に使われる事が多い。日本各地の曲げものは工芸品として継承され、青森県藤崎町のひばの曲物、静岡県静岡市の井川メンパ、長野県奈良井宿の木曽ヒノキを使用したメンパ、三重県尾鷲市の尾鷲杉を使用した尾鷲わっぱなど各種ある。
外国では、アメリカのシェーカーボックス、スエーデン、フランス、ドイツでも同様な曲げ物が作られている。 秋田県大館の曲げわっぱは、唯一、国の伝統的手工芸品の認定を受け、柴田義信商店はウレタン塗装をしない秋田杉の木地のままの商品を提供し多くの使用者の共感を得ている。
曲げわっぱと桶、樽には違いがあるのか。
同じような感じであるが、実は、曲げわっぱの方がはるかに古い。なんと、日本人は縄文末期から割り木した材を曲げて器にしていたのだという。
曲げわっぱは、木を曲げて接合するが、接合するというより樺の皮で縫っていたと言う方が正しのかもしれない。そういえば、桶や樽は木を丸く削って接合し、竹や金属で箍(たが)をかけるという高度な加工法が必要になる。鉋やノミのような道具だっているに違いない。したがって、歴史の中で桶や樽は鎌倉、室町時代にならないと登場しないのである。
曲げわっぱは、もともとは曲物と呼ばれた。曲げわっぱと呼ばれるようになったのは江戸時代のことのようだ。秋田音頭に歌われている「秋田名物、八森ハタハタ男鹿で男鹿ブリコ、能代春慶、桧山納豆、大館曲げわっぱ!」
ということで、江戸末期、秋田藩佐竹のお殿様に秋田音頭を上覧した頃に曲げわっぱという名前がメジャー化したのだ。
大館は遠い。陸路を列車で移動すると秋田新幹線で四時間、奥羽本線で秋田から能代を経て大館まで二時間で合計六時間の大移動をしなければ到達しない。ゆっくりと優雅な列車の旅も良いのだが、今回は、急ぎの旅ということで羽田から秋田の北端の地である大館能代空港に向かうことになった。
大館の郷土博物館には平安時代の曲げわっぱが現存しているという。ぜひ、見たいものだと思いながら羽田空港の出発ロビーで離陸を待っていた。
眼下に蛇行した川が見えてきた。秋田の三大河川、米代川である。奥羽山脈を源流とし、大館から能代まで日本海にそそぐ川だ。江戸時代は舟運が盛んで、銅を能代まで運び北前船に積み替えて大阪に運んでいたという。飛行機は米代川沿いに高度を下げて大館能代空港に着陸である。同じ秋田でも大館の雪は、かまくらで知られた横手より少ないが、今年は特に豪雪ということで、空港の建物も雪に埋もれていた。大館市内まではリムジンバスで移動になる。リムジンと言っても客は5人しかなくて、のどかな雪道を走る路線バスという雰囲気であった。
私は、リムジンバスの運転手さんに「今年は雪が多いんですか?」などと話しかけて情報収集を試みた。
「いやー、多い、多いって、タイヒェンだー、ホンドウ(歩道)の雪もマンダ融けないで歩くヒドは歩けね、コンデモ融けた方だ、先週まではもっとタイヒェンだったー」と、予想はしていたが超秋田弁の答えが返ってきたのである。
運転手さんの後部座席には、大雪に備えてか、バケツに入った雪かき道具一式が備え付けられていた。雪国のリムジンならではである。
「秋田は佐竹が殿様ですよね、大館は佐竹の分家だったと思いますけど?」
「ソンダ。大館は西佐竹だねー、角館は北佐竹、湯沢は南佐竹だねー」
まてよ、私は、青森に近い大館が北で、角館は東じゃないのと思った・・・・
「運転手さん大館は北の佐竹じゃないの?」
運転手さんは運転中にもかかわらず、一瞬振り向いて
「お客さんもツーだねー、佐竹は関ヶ原で豊臣に味方したんで、茨城の水戸から秋田に飛ばされたんだーケド、今の西家、北家、南家は水戸のお城の配置だべねー」
危ないので前を見て運転してほしかったけど、そうか、私は納得した。茨城の城に配された西佐竹そのままの呼び名で秋田の北端に来たということだ。外敵の脅威に対し、弘前藩には大館の西家、南部藩には角館の北家を、仙台藩山形藩には湯沢の南家と、最も信頼できる身内を配したということになる。
今回、訪ねるのは大館曲げわっぱに新しい風を吹かせた柴田慶信商店だ。デザイナーと結びついた新作も評価されているが、なにより曲げわっぱの原点に返り、杉そのものの素材で勝負する商品が消費者の心をつかんでいる。つまり、ウレタン塗装をしない曲げわっぱということである。産地、大館はプラスチックの弁当箱に押されて売れなくなった曲げわっぱに、ウレタン塗装を施してスポンジと中性洗剤で洗えるようにした。扱いやすさを優先したのだ。しかし、表面をコーティングすることで秋田杉が本来持っている吸湿性、芳香、殺菌効果によってご飯の味を生かすということができなくなってしまった。柴田商店の曲げわっぱは、たわしでごしごし洗ってください。新しい木肌を出すイメージでクレンザーを使っても大丈夫という、木の器としては何とも型破りな取説である。しかし、たわしで洗い続けると杉の正目が浮き出てさらに美しくなる。使い込んで目が浮き出た曲げわっぱは、要望に応じて柿渋と漆による「しばき塗」をかけてもらうことができる。エイジングしたマイ弁当箱がさらに成長する可能性を秘めているという。なんとも魅力にあふれた商品ではないか。
このような商品の打ち出し方は、よほど、最良の秋田杉を厚く贅沢に使わなければできない。自信の裏付がなければできない相談であろう。そして、柴田慶信氏の三男、昌正氏が後を継いで若いデザイナーと新しい商品を提供するようになり、柴田商店の活躍ぶりはメディアにとりあげられて広く知られることになる。その柴田商店は、大館駅のそばに新しいショップをオープンさせたということで、今回は そのお店で話を伺うことになる。楽しみであるが、時間が限られているので技術的なことも含めてどこまで曲げわっぱの本質にせまることができるのか不安でもあった。
父の慶信さんは、もともと地元の営林署に務めていた。曲げわっぱの世界には縁がなく、弟子入りはせずほとんど独学で技術を学んだ。そして、転機になったのは一九八〇年代に、伝統工芸品の指導で秋田を訪れた秋岡芳夫、時松辰夫の教えである。大きな企業は、外部のデザイナーや大学教授の教えには抵抗があったが、師匠のいない慶信さんは素直に教えを受け入れられた。一番おどろいたのは、ろくろの名工である時松が曲げわっぱをろくろにかけて回してみると、正円なはずのわっぱがいびつな円のためにぶれてまわりだしたのである。自分たちが職人のプライドを持って正円と信じていた形がいびつであった。これには義信さんもショックを受けた。そして、秋岡、時松に、ろくろ技術の指導をうけて、お櫃のご飯のつぶが底に残らないようにするために、継ぎ目の角をろくろでおとし底を丸くすることに成功したのである。このろくろ技術は、1980年代からのもので、長年継承されてきた大館の曲げわっぱに新しい技法として組み込まれている。
ちなみに、秋岡芳夫は東北工業大学に招かれて、岩手の大野村や青森のブナコ、秋田杉の曲げわっぱ、桶、樽と産地を巡り新しいデザインとその加工技術を伝承した。最後は北海道に渡り、置戸町で大野村の手法を展開したのである。置戸町ではエゾ松を曲げわっぱにしたものを商品化している。木材チップにしかならないような雑木であるエゾ松を、よくぞ挽いて、よくぞ曲げたというべき白木のすぐれた商品群である。木を知り尽くした秋岡と木材加工の天才である時松のコンビは北の木工産地に功績を遺したが、大館曲げわっぱにも大きな影響を与えたということである。この時の教えがなければ、今の大館曲げわっぱはなかったと
昌正さんに基本的な曲げわっぱの製造工程を教えてもらった。
曲げわっぱの製造工程は、曲げて接着し底板をはめこみ蓋を合わせるというもので、工程数が少なくきわめてシンプルである。柴田慶信商店の浅草店では、親子曲げわっぱ教室のようなイベントを行っている。曲げわっぱのワークショップとして公募したユーザーに、その場で曲げわっぱをつくる体験をしてもらおうというものである。大館の曲げわっぱ体験工房の東京出張版のようなものである。つまり、材料は木取りして準備されているが、その場のレクチャーでだれでも形にすることは可能ということである。
しかし、シンプルであるがゆえに、その工程の中には深い職人技が含まれている。まず、200年ものの天然秋田杉丸太を4つに大割して、柾目をとるために中央部分をそろえて小割にする。小割にした柾目の杉材を製品にあわせて厚さと長さを決めて木取りする。まいて接合する部分を斜めにして鉋で薄く削る。ここまでが材料の製造作業である。その材を一晩水につけて、加工の前に15分程度煮沸する。80℃にして30分間がベストであり、80℃に保つために差湯をしながら温度管理をしなくてはいけない。は大館郷土博物館の平安時代の曲げわっぱには切込みがあって曲げやすくしているが、今は80℃で煮沸して曲げ作業を補助している。いつ頃からお湯に付けるようになったのかは定かではない。
柔らかくなった杉材をゴロに挟み込み、文字通りごろりと動かして丸みをつけるのである。ゴロは製品により様々なサイズのものがある。丸みを付けたものを、製品の型に巻きつけて形を整えて固定する。大きな円のものは、型が縦に固定されていて、それに材を巻き付けるものもある。形が決まったら木鋏で挟んで2昼夜の間で乾燥させ、材の接合部を小刀でつま取りする。接合部に接接着材を付けて再び木鋏で3時間くらい固定してから、先の平たい目通しキリで切込みを入れてなめした桜の皮で縫い留めていくが、この桜の皮のポイントが各工房の持ち味となる。つま取りの形と桜の皮の縫い留め方はつくる職人により個性がでるところである。
最後は底入れであるが、側板に小刀で欠きこみを入れて底板の入る溝を掘る、工程の中でも熟練と根気のいる作業となる。底板のおさまりをみて微調整をしながら接着剤を薄く塗って底板をはめ込み、余分な接着材を拭き取り乾燥させれば完成である。柴田義信商店はウレタン塗装をしない。漆のシバキ塗をかける場合は完成したものに柿渋を塗りその上から漆をかけていく。下塗りから研ぎ出し、上塗りと手間のかかる商品であり価格もかなり高価になるが、それだけの風格と価値を持つ商品だと思うのである。
ー(影山)
Copyright 2017producing district and design. All Rights Reserved.